心臓病について。
さて、では最初に心臓病の方の事でも話しましょうか…
病名は、ぶっちゃけ言うと、沢山あります。
でまぁその中でもメイン(?)は、
HLHS。左心低形成症候群。
です。他にも大動脈弁狭窄症、僧帽弁閉鎖不全症(軽)とかなんか色々。
この辺に関しては、ご自分で調べた方が分かりやすいかもしれないです。
ノーウッド、グレン、フォンタン……と、本来歩むはずだった道とは大きく逸れて今まできています。
昨年の手術を含めても、計2回しか心臓は手を加えていません。
決して、いい状態ではない。けど、下手に手出しをすればそっちの方が悪影響になる。
そういう訳で長年様子見しながら、カテーテルやりつつ…でした。
事が大きく動いたのは2年前。中学三年生のとき。
大体、学校の階段って半階が12段なんです。
中三の頃から、この12段すらまともに登れなくなりました。ストレス云々ではなくて息切れから苦しくなってしまう。
そしてそこに拍車をかけたのは、重度の貧血でした。
朝は起きれない、授業中に質問に答えるのに立ち上がることすら出来ない。
気づいたのは秋頃でしたが、さすがにおかしいと感じて病院へ。
今まであまりやらなかった検査まで全てやったのを覚えています。
医師から告げられたのは、
「今が万全、という訳では無いけれどこのままだと手遅れになる。手術の日程を決めましょう。
『人工弁』を考えておいてください。」
と、言われました。
頭は真っ白になりました。…人工弁を入れるなんてどこか他人事だったから。
生体弁でもなく、いきなり人工弁…?
納得いかず、自分の体力にも不安があった私は、
「受験までは、待ってください。…終わったら手術しますから。」
主治医は、考えに考えた上、応急処置としてカテーテルをやり、薬の増量を指示。
受験後に、手術をするはずでした。
しかし。
待ったをかけた先生がいました。
私が生まれて直ぐにお世話になった水戸の先生。
「女の子で、これから結婚、出産の道もまだある。
それを今断ち切ってしまうのは、納得いかない」
その一言で、長い長い、カンファに入ることになりました。
(カンファレンス→よくドラマでやる先生達の会議)
生体弁でどうにか……という意見と、
人工弁を入れれば1回で終わる、出産は諦めろ…という意見。
そして、そもそも私の体力では危ない、と手術決行を断念すべき、という意見。
気づけば、6月になっていました。
そして、6月半ば。
「自分の肺動脈弁を、厚くなってしまった弁に付け替える、ロス手術に決まりました。
コロナもありますから、7月の学校が終わり次第やりましょう。」
そんな話をされた。
私の頭の中は、『え。まって。ロス手術ってなに笑』
となってました。
人工弁には、行く行く変えなくてはいけないかもしれない。でも、それがもっと先の話になるように、今、ロスをやって、どうにか持ちこたえさせよう…という事だった。
バタバタして気づけば、7月。
コロナ感染者が増えたこと、校内で感染者が出たことにより私は安全を考慮し自宅待機になり、入院の支度を進めていました。
7月26日。入院初日。
気づけば、ベットの上にいました。やる事も特にない。私は術日までゆっくり過ごすことに。
7月28日。
隣のベッドに新しい子が。
Mちゃん、という小学三年生の小柄な女の子。
初めての入院と手術だと言う。
茨城の方からはるばる東京まで御家族で来たそうな。
7月30日 手術決行日。
一例目は、Mちゃんだった。
まだ小さい子は、オペ室に入る不安を減らす為に、点滴やドロっとした液体を水で流し込み、フワフワする薬を入れます。
初めてだと吐き気があったり、全身が重くなり呂律が回らなくなることから、その不安で泣く子が多く…
Mちゃんも、
「お姉ちゃん…これ、なに…?フワフワするの、怖いの、お母さんいなくなっちゃう……」
と、泣きながら言っていた。
Mちゃんの隣にお母様はいましたが、意識が薄くなっていくので、現実と夢の境が分からなくなるんです。
「だいじょーぶ、ここにいるよ。
フワフワするのはMちゃんの不安を少しでも無くなるようにする為なんだ。
気持ち悪いし、変な感じだし、嫌だよね😅
でも、だいじょーぶ。オペ室まで一緒に行こうね。
不安だったら、泣いていいんだよ。
沢山泣いて、沢山お話しよう」
ってなんかこれしか私は言えませんでした。
いざオペ室行く、となり、車椅子に乗るMちゃん。
不安なのは私も彼女も同じ。
「Mちゃんの後直ぐに私なんだよ!
バッチリ乗り切ってICUで待ってて!光の速さですぐ飛んでくわ!」
と言って、オペ室に行くエレベーター前で、Mちゃんのお母様と一緒にMちゃんを見送りました。
2時間後。
「Mちゃん、点滴入れるのに泣かなかったんだよ。
元気にICUで待たなきゃって言ってたけど、誰かさんのおかげかな?」
と笑う先生。
なんのことでしょう〜?って返しました笑
ついに私の出番。
強がって、最初の入口のところで両親と別れました。
「だいじょーぶだって!行ってきます!」
その声に安堵したような両親。
けど、入口の扉が閉まった瞬間、泣き崩れました。
お化け屋敷よりも怖い、無機質な空間とそこにあるエレベーター。……途端に、怖くなった。
音は、一切ない。機械の音すらも。
「行こっか…行ける?」
隣で肩をさすってくれた看護師長さん。
「大丈夫ですよ!」
と、泣き笑いで返事した。
で、オペ室に入室。
よく見る先生達が手術着を着てるだけで特に変わりはない。
けど、私はそこで動けなくなった。
今更襲ってくる、怖いという気持ち。
最後まで押し殺してやると、そう思っていたのに。
連れてきたぬいぐるみをこれでもかと強く抱き締めながら、我慢してた涙は、一滴、また一滴と頬を伝っていきました。
それを見て、安心した顔の先生たち。
「まーた強がったんでしょ。お姉ちゃんだから。
良いんだよ、泣きな。泣かない子なんていない。泣いた方が僕達も安心するから泣いてくれ」
と笑われました。
一通り泣いて、オペのベッドの上に。
横になると、幅は全くありません。
自分の身体がすっぽり入るくらい。余裕はない。
で、点滴入れてもらってそこから麻酔を入れてもらう。
中々眠らなくて、最終的にマスクを付けられた。
この時点で大体の子がおちるんだが、馬鹿な私はどこまで起きてられるかってやる事にした。
「段々眠くなるよ〜」
その言葉にニッコリ微笑んで目を見開く私。
それを見て、呆れ顔の先生。
最初に感覚が無くなったのは顔と、足と手。
でも、まだ起きてた。
で、最終的にマスクを押し付けられて、イッちゃったわけです笑
でも、押し付けられる頃には、すごく怖かったですよ。
ここがどこで自分は誰なのか、分からなくなったんですから。
でまぁ…術中に1回、ICUで2回、死にかけましたが何とか生還。
これが昨年までの流れです。
私が思うこと…17年の軌跡。
私が思うこと。
どーも!藍琉です。
いつもお世話になっております。馬鹿丸出しのツイートばかりしかしてませんが😅
これを機に話してみたくなったので話そうかなぁと。
今年の6月で有り難く、17歳を迎えました。
正直言うと、私自身よくここまで生きてきたなという感じです。
生まれた翌日、初めて乗った乗り物は救急車でした。
里帰り出産だったため、日立から水戸まで高速を使って病院へ行った救急車。
最初に第一関門として、狭窄した血管を広げる手術でしたが、それを一週間後に控え、私自身1週間身体が持つかどうか分からないと言われました。
この手術は何とか成功したわけですが、よく心臓病児が行うノーウッド手術、グレン手術、フォンタン術。
あと1ミリという、ミリ単位の世界で私はこの3つを未だに受けていません。受けずに済みました。
とまぁ…ここまでで随分凄いと思うんですが、この他に、両方の口唇口蓋裂、水腎症、とかあったわけです。
結局、全てひっくるめて考えると、小学校入学までに6回の手術をしました。
でも、今もまだこれで終わりではありません。
入院ばかりしていた私は、やがて子供の世界からどんどん孤立していきます。元々、話すことも得意ではなく、2語文を話し始めたのは4、5歳だったとか。
幼稚園、親と離れる事をまず受け入れられず、通ったり通わなかったり。そして肺炎も発症したのでいよいよ子供の世界は疎遠していきました。
小学校入学。
この頃には、新しい場所ということにかなり興奮。元々外の世界もよくわからなったのでとにかく新鮮でした。
その頃先ず目立ち始めたのは、登校しなかったこと。普通に遅刻してました。理由は、通学路途中にある池で遊んでたから。先生が探しに来たことも沢山ありました。私の中で時間の概念がほぼゼロだったため、団体行動も時間の感覚もない、自由人でした。
小学二年生。この頃にはなんと、誰とも話さないクラスから浮いた子供でした。周りの空気を読めなかった。普通に話に割り込んでいくタイプだったし、超えては行けない一線もよく分からなかった。
その頃から、いじめも始まりました。口の術痕の事を散々言われた。
気持ち悪いとかじゃ済まなくて、菌扱いもされたし、汚れみたいな扱いだった。それでも一人で居ることに慣れてた私はそこまで気にはしてませんでした。
ただ、ある時からそれに耐えられなくなり気づけば秒で手をあげる子供になりました。口が達者な男の子に刃向かえず、思いっきり殴ったり、蹴ったり、石や砂を投げたり……。伝えられない上に、感情のコントロールが出来なかったあの頃は、怪獣でしたね😅
母とも毎日戦争してました。前のアパートの襖にはあちこちに穴が空いた跡が。床を思いっきり蹴りまくり、下の階の人に夜謝りに行ったのも何回もあります。
それでも担任と、周りの理解があり、何とか落ち着いて行った私。後々に私を一番いじめていた子は、私を妬んだ幼なじみの悪口をそのまま真に受け、やっていたそうな。
んで、中学入学。
ここから、私の人格は崩壊していきました。
小学校2つが集まり1つの中学になるんですが、もうひとつの小学校から来たO様に目をつけられました。
心臓の病も見た目じゃ分からない事からかなり男子にも色々言われてきました。
本当は走れるのにズルしてる。
本当は元気なくせに仮病を使ってる。
O様には、口のことをひたすら言われました。
菌扱い、汚物扱いは最早当たり前。
廊下とかすれ違いざまに、
ブス、キモい、死ね、消えろ、学校来るな、菌をばら撒くな。
そりゃぁまあ色々。
でもね、苦労かけた両親には心配かけたくなかったんですよ。小学校でも苦労したから。
その頃には既に人間不信で担任にも言わなかった。力になってくれないことを分かっていたから。
その頃は、生まれて初めてでしたよ。
朝が怖い、起きることが怖い、学校が怖い、人の目が怖い、親の顔を見るのが辛い、死にたい。
朝目が覚めたらこればっかり。
でも、学校行かなくなったら、虐めてくる奴に負けると思い、私のプライドが許さなかった。
でもある時、無理無理繋げていた細い糸はいとも簡単に切れました。
朝、学校が見えると過呼吸。階段は、登り方を忘れました。登ってる途中に下を見れば断崖絶壁にいる気分。教室に入れば冷や汗は止まらず、ついに授業中に胸が締め付けられる痛みに襲われ倒れました。
全て、過度なストレスでした。
今、ここまで書いてますが私が当時話したことを両親から聞いた話を元に書いています。
というのも、中学の時の記憶はあまりありません。中一は特に。
中一の二学期後半、やっと話せました。
教育委員会が動いてくれたおかげで、学校側も有耶無耶に出来なくなり、その後、O様と同じクラスにはなりませんでした。
そしてこの間、一つだけ覚えているのは、
二学期初めと、二学期終わりに自殺未遂をしたこと。
これは両親も誰も知りません。私だけの秘密です。
一回目はクローゼットの引手にタオルを通し、首を吊りました。でも、苦しくて諦めた。
二回目は、自分で自分の首をベルトの紐で締めました。これも結果的には死ねなかった。
今思えば、死ねなかったのではなく、見えざる者が死なせなかった…と思ってます。
でまぁ、すっ飛ばして昨年手術をして、正直これからどうなるかは分かりません。
でも人はいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。これは神様しか知らないこと。だから、いつ逝っても良いように私はやりたいことをやろうと決めました。
何回か余命宣告されて、確か最後の余命宣告は20歳だったはず。
私の心臓病は、難病で、治療法はありません。薬も。
この病で生きた人は大体50歳(一番長くて)くらいです。
完治(寛解)はしません。
でも、それでもいいと思います。今ではそう思えるようになった。
100歳まで生きてやるつもりです。誰も成し遂げたことの無いことを私が超えると。
17年しか生きてないまだまだ子供の私ですが、一つだけ言えることは、
辛い時も、泣きそうな時も、上を見ていればどうにかなる。笑っていれば、案外事は上手く進むものです。
空を憎むこともある。でも、その時の感情がいつか役に立つ日がくる。私はそう思ってます。
そして私がもう一つ学んだこと。
それは、言葉の重み。
私は、今まで出会ってきた子達、親御さんに頑張れ、と言ったことは一度もありません。
それは、精一杯頑張ってるから。
頑張ってるのに、頑張れと言われたら、こんなにも酷なことは無い。
何を頑張ればいいのか、何処まで頑張ればいいのか、分からなくなる。
私は、それについて家族ともめちゃくちゃ揉めました。というか、私が一方的にブチ切れた。
頑張れ、頑張れ、って、何処まで頑張ったら、みんなが言う「頑張れ」になれるのか。
気づけば、頑張れ、って言葉は好きじゃ無くなっちゃいました。
頑張れ、の言葉の変わりはいくらでもある。だから私は、
「応援」
っていう、この言葉を使う。
応援させてください、って。
もう精一杯頑張ってるのよ。だから、
貴方の、これからを応援してます。
貴方の、未来を応援してます。
こういう意味を込めて、応援って言葉を使う。
子供達には、手術室に入るギリギリまで来たら、
「終わったら、また会おう。先に行って、待ってて。」
心臓の場合はだいたいICUに入る為、よく術後に会ったりするんです。…記憶はありませんがね😅
不思議とICUにいた、というのは覚えていても何があったか、とかはうろ覚え。
話逸れちゃいましたが、ざっっっくり話をするとこんな感じでした、はい笑
思いの外長くなったので今日はこの辺で。
noteが訳あって開けなくなったので、これからこちらで書こうかなぁ…と。
で、口唇口蓋裂のこと、心臓のこと、まだまだ別枠で書きたいことは沢山。
また、更新しようかなぁと思いますd(˙꒳˙* )
三日坊主の私ですけど(笑)
2021年8月19日 藍琉。
(非公開でした、すみません💦)