震度5弱を体感して感じた避難訓練の必要性

久々に書きます。お久しぶりです。

さて、数日前に埼玉を震源とした震度五強の地震がありました。

その前に青森が揺れ、さらにその前はバヌアツで揺れましたからそろそろ来るかと思ってたところだったので別に驚きはしなかったんですが、何よりホッとしたのは、

「学校」に居なかったこと。

今通う高校で、はっきり言って私は生き残れる自信はありません。


簡単な話です。

2ヶ月に1回、だけしか避難訓練をしていないから。

まさか中学の頃よりやらないとは思ってもみませんでした。


それに加えて、私の記憶ですが…高一の頃1、2回だけ不審者対応の訓練をしたような…。


詳しくは書けませんが、うちの高校は1年生の校舎が古く、どの先生も口を揃えて言うのは、

「次、3.11規模、またはそれ以上の地震が来た場合この校舎は潰れる」

と。

そこまで言う、分かっているのになぜ避難訓練を2ヶ月に1回しかやらないのか。

しかも避難「訓練」なのに、全校生徒が集まるのが遅い遅い。


中学の時は、3分で全員外に出て安否確認まで終わってました。もちろん、最初は8分とか時間がかかりましたが、中学の頃は月に一回必ず避難訓練を3年間やり続けました。

だからこそ、出来た時間です。


不審者対応の訓練に関してはうちの地元は少し特殊だったためそのレベルを求めるのは難しい話なんですが。


小中とやり続けた(小6以降〜中学)不審者対応の訓練はかなりすごいものでした。


というのも、私が小学四年生の時、クラスメイトに少し複雑な環境の持ち主がいました。

父親から逃げるためにうちの地元に来た子でした。



そして小4の秋。突然それは訪れました。



「○○いるんだろぉ?!出せやオラッ。」



12時も回った頃、ちょうどお昼のときでした。実はもうその時点でそのクラスメイトは転校した後だったんですが、そのクラスメイトの父親を名乗る人物が入ってきたんです。


明らかに狙った犯行でした。お昼の時だけは警備員が持ち場を離れ、そして裏門には誰もいなくなる。

そこを見計らって普通に入ってこれたんです。



その時、私たち学生は何も出来なかった。動くことすらも。恐怖が我先にと前へ出て、隠れることすら出来なかった。

訓練の時は「大きな鳥」と言って放送が流れるのに!


いつもの訓練が非現実的であることを理解していたはずなのにいざリアルを目の前にすると何も出来なかった。

その父親が刃物こそ持ってなかったから誰も犠牲が出なかったものの、もし凶器を持っていたら?


当時の我々なら、全滅か、いいとこ犠牲者多数で終わってたでしょう。


その後、小6になる頃には、それを活かして、放送無しの突然の訓練が当たり前に変わり、それは中学でも同様でした。


今思えば、計画無しの突然の訓練でしたから、月一だったかどうかも分かりませんが。

地震避難訓練も、古い校舎であることを各自で理解し、何かあれば待っているのは死だけだとそれぞれ肝に銘じてたからこそ、誰一人笑う人も、怠ける人もおらず、真剣にバカ正直にやるのが当たり前でした。


それが高校に入ってから不審者対応の訓練は多くても3回。

地震避難訓練も2ヶ月に1回。しかも「地震が発生しました」という、ごく普通のもの。

逃げる生徒はゆるゆるとやっていて、時間も遅い。


耐震工事をしているから大丈夫と言うけど、

耐震はあくまで全員が逃げ切る間の応急処置のようなもの。長く持つわけが無い。


それを、誰もわかっていない。

それが一番の問題です。加えて、車椅子を使用している生徒や、杖を使用する生徒もいる。

そういう子達の対応は?全然できてません。



〜続く〜

震度5弱を体感して感じた避難訓練の必要性

久々に書きます。お久しぶりです。

さて、数日前に埼玉を震源とした震度五強の地震がありました。

その前に青森が揺れ、さらにその前はバヌアツで揺れましたからそろそろ来るかと思ってたところだったので別に驚きはしなかったんですが、何よりホッとしたのは、

「学校」に居なかったこと。

今通う高校で、はっきり言って私は生き残れる自信はありません。


簡単な話です。

2ヶ月に1回、だけしか避難訓練をしていないから。

まさか中学の頃よりやらないとは思ってもみませんでした。


それに加えて、私の記憶ですが…高一の頃1、2回だけ不審者対応の訓練をしたような…。


詳しくは書けませんが、うちの高校は1年生の校舎が古く、どの先生も口を揃えて言うのは、

「次、3.11規模、またはそれ以上の地震が来た場合この校舎は潰れる」

と。

そこまで言う、分かっているのになぜ避難訓練を2ヶ月に1回しかやらないのか。

しかも避難「訓練」なのに、全校生徒が集まるのが遅い遅い。


中学の時は、3分で全員外に出て安否確認まで終わってました。もちろん、最初は8分とか時間がかかりましたが、中学の頃は月に一回必ず避難訓練を3年間やり続けました。

だからこそ、出来た時間です。


不審者対応の訓練に関してはうちの地元は少し特殊だったためそのレベルを求めるのは難しい話なんですが。


小中とやり続けた(小6以降〜中学)不審者対応の訓練はかなりすごいものでした。


というのも、私が小学四年生の時、クラスメイトに少し複雑な環境の持ち主がいました。

父親から逃げるためにうちの地元に来た子でした。



そして小4の秋。突然それは訪れました。



「○○いるんだろぉ?!出せやオラッ。」



12時も回った頃、ちょうどお昼のときでした。実はもうその時点でそのクラスメイトは転校した後だったんですが、そのクラスメイトの父親を名乗る人物が入ってきたんです。


明らかに狙った犯行でした。お昼の時だけは警備員が持ち場を離れ、そして裏門には誰もいなくなる。

そこを見計らって普通に入ってこれたんです。



その時、私たち学生は何も出来なかった。動くことすらも。恐怖が我先にと前へ出て、隠れることすら出来なかった。

訓練の時は「大きな鳥」と言って放送が流れるのに!


いつもの訓練が非現実的であることを理解していたはずなのにいざリアルを目の前にすると何も出来なかった。

その父親が刃物こそ持ってなかったから誰も犠牲が出なかったものの、もし凶器を持っていたら?


当時の我々なら、全滅か、いいとこ犠牲者多数で終わってたでしょう。


その後、小6になる頃には、それを活かして、放送無しの突然の訓練が当たり前に変わり、それは中学でも同様でした。


今思えば、計画無しの突然の訓練でしたから、月一だったかどうかも分かりませんが。

地震避難訓練も、古い校舎であることを各自で理解し、何かあれば待っているのは死だけだとそれぞれ肝に銘じてたからこそ、誰一人笑う人も、怠ける人もおらず、真剣にバカ正直にやるのが当たり前でした。


それが高校に入ってから不審者対応の訓練は多くても3回。

地震避難訓練も2ヶ月に1回。しかも「地震が発生しました」という、ごく普通のもの。

逃げる生徒はゆるゆるとやっていて、時間も遅い。


耐震工事をしているから大丈夫と言うけど、

耐震はあくまで全員が逃げ切る間の応急処置のようなもの。長く持つわけが無い。


それを、誰もわかっていない。

それが一番の問題です。加えて、車椅子を使用している生徒や、杖を使用する生徒もいる。

そういう子達の対応は?全然できてません。



〜続く〜

今週のお題「お風呂での過ごし方」


超長風呂派な私。ここ2年あまりはBoseのスピーカーを持ち込み音楽をかける、そして小さな声で一人カラオケをするのが定番となりました。

その前までは、小説やら漫画やら持ち込んでたんですけどもね。

音楽を流してゆっくり過ごす。

これが最大の癒しです。

今週のお題に初挑戦

今週のお題「好きなお茶」

こんにちは、藍琉です。

今回は、この「今週のお題」というのに参加してみることにしました。


好きなお茶、色々ありますよね🤔

私は実を言うと紅茶の類が得意ではありません。



でも、麦茶、緑茶、そば茶、烏龍茶、この辺は大好き♡

中でも好きなのは抹茶です。



あ、抹茶と言いましても抹茶ラテとか、抹茶アイス!とかそういうのではなくて、

極々普通の、その人がたててくれた、出来たての抹茶が一番好きです。


特段、茶道部だった訳でもないのですが…笑


母方の祖父が入院するまで、ずーーっと茶道の師範で、教室を開いておりました故、抹茶が好きな理由はそこにあります。


私は飲むだけ!という、いいとこ取りしかしてませんでしたが、和服に身を包み、あの古き良き家の、茶室で、祖父が静かにお茶をたてる。

その間、不思議と生活音も、外の機械音や車両の音ひとつも聞こえないんです。



季節によって、自然の音は変わりますが、ある時は爽やかな風の音、ある時は蝉の声、そしてある時は少し肌寒さを感じながら、お茶の音を聞く。



私は聴覚過敏というのがありまして、音に敏感過ぎてしまうのですが、


多くの人の声や機会の音が時として苦痛に感じるのに、

自然の音だけは、とても耳触りのいい音なんですよね。


今は亡き、祖父ですが、もっとあんなことやこんなことを聞けばよかった、と後の祭りです。



皆さんには、どんなエピソードがあるでしょうか?



思い出に浸るのも、良いものですね。

御縁という名のつながり。

ブログちょっとサボってました、藍琉です。

さて、今日は心臓の方を書こうかと考えたんですが今月また受診があるのでその結果報告も兼ねてその時に書こうかなと思いまして、本日は私が出会えた縁、「御縁」について書こうかなぁと思います。


前のブログを見ていただければ分かると思いますが、相当波乱の人生でした。


中学の時に今思えば、鬱が加速した頃。

逃げ場を求めて私は自傷行為が悪化していきました。

爪をむしる、髪の毛や眉毛の抜毛などです。

正直言うと、未だにあったりします。



死のうと思ったこともありました。


でも、そんな私が今も尚ここにいるのは、繋がった御縁のおかげです。


そのうちの2つ。1つは馬。2つ目はREALITY。




まず、1つ目の馬、というのは幼稚園まで遡ります。

当時、本社勤務だった父の職場では毎年恒例の「家族会」というのがありました。

もちろん、私も連れて行ってもらい沢山の場所に行きました。


そしてある年が、川辺でBBQだったんです。

途中まで色々なものを食べて楽しんでいましたが途中から飽き始めるのが子供というもの。


探検、と称して見知らぬ土地が珍しくあちこち走り回っていた時に、今も繋がりのある乗馬クラブさんを見つけました。



そこの乗馬クラブでは、「ホースセラピー」をメインに行っています。


よく言うアニマルセラピーのようなものです。



身障者をメインにセラピーを行ったりとか…馬は歩く時に独特のリズムがあります。

それが神経や、筋肉といった様々な運動器官に作用し、動きが良くなったりだとかリハビリを兼ねています。


私はその日のうちに曳馬体験をさせてもらって場長から、「姿勢いいね」と褒められ、当時現役で馬場馬術に出ていたAさんという方に、「素質がある」と大絶賛され…気づけば通うようになりました。



今思うと、この馬たちの存在が無かったら私は未練なんてなかったと思います。

彼らがつなぎとめてくれた、そう言っても良い程に。





そして2つ目の、REALITY。

こちら、アバターを使用した配信アプリの名前です。気になる方はぜひ。


昨年、手術をしたと過去のブログに書きましたが、REALITYを始めたのはちょうどこの入院がきっかけでした。


当時は上手く繋がりが持てず、11月頃には一旦やめてしまっていました。



ただ、再び始めてみたんです。これで、縁が無かったら消してしまおう、そう思いながら。




すると不思議なことに、再スタートを切った今年1月。

みるみるうちに繋がりが出来始め……。


とあるコンビのマネージャーをやらせてもらうことになったり、皆でワイワイする機会が増えたり。

ついにはリア友を引っ張りこんでやり始めました。



とある理由でスマホが夜中まで使えた時もオールしてみちゃったりとか色々悪いこともしましたが。




そこで思ったのは、このコロナ禍で学校での友人関係が希薄になりつつある中でも、やはり人の縁は必要なものだとそう感じました。


縁は、無理無理作るものではなくて、自然とそうなるように出来上がるもの。



気づけば、コンビのグループ以外にも、そのリア友の方の繋がりとか、更には私自身も積極的になりました。


アプリを開くと、おすすめとか、新着とか上がってくるんです。その中でランダムに枠(配信)に入るのにハマっていたんです、一時期(迷惑もかけたかも)。



決めるきっかけは、名前とかアバターの雰囲気。


テキトー以外の何ものでもありません(笑)




その中でたまたま入室したのが、やん、という方でした。


「こんにちは〜」

と挨拶するのが私流なんですが、やんさんは、

「おぉー!いらっしゃーい!」


なんて明るく返してくれて。

静かめの人を結構引いてたので、その元気の良さにちょっとびっくりしたのと同時に、直感的にこの人面白そう。となりました。


や「名前なんて読むん?」

私「藍琉って書いてあいるです。」

や「おぉ!あいるかぁ。まぁゆっくりしてけー!」

ってそんな会話があって。やっぱりこの人面白そうって中々枠を出られなかったんです。



そんで、なんでこの人の枠から中々抜け出せなかったかって、当たり前かもしれないけれど、会話のテンポが良くて…あと人柄?


多分、グループ以外で持病のことを話したのはやんさんが初めてだと思う。


でもなんか…大変だね、って感じじゃなくて凄く親身になって聞いてくれて…今9月なので出会ってから半年?くらいしか経ってないけど、グループ以外でやんさんの所は居座るようになりました笑


本当にやんさんって凄くて。もう色んな意味で大先輩。


他にも名前を出しちゃうと(確認取ってないや)、

カツさん、ペイさん、健巳さん、水雫(リア友)、バルトさん、五時さん、くわっぱさん、まやパパ…etc


みーーーんなREALITYの人たちです。


繋がりを求めてる人、なんかちょっと物足りない人、REALITY、ぜひ。楽しいです、本当に(笑)




さて、今回はこの辺で。
次は何書こうかしら。

宗教が絡むとめんどくさい件。

どうも!藍琉です。
ニュースでは連日、コロナの情報と共にアフガンに関するニュースが増えていますね。

私的には、コロナよりもアフガンの方に目を向けています。

国が終わる、無くなるのを見ているような感じです。

今回のテロに関して、イスラム国が犯行声明を出したそうですね。

大方、国として今大きく揺らいでおりトップを失った状態のアフガンに対してテロを行い、上手く取り込もうとした…というような感じでしょうか。

いずれにせよ、イスラム国も今アフガンを支配してるタリバンも宗教的な考えは同じ。

人権も存在しなければ、自分たちが一番、なんていう武力宗派です。

米兵13名が犠牲となり、アメリカのバイデン大統領は、ブチ切れ状態。

これがどういう方向へ動くのか気になります。


ぱぱブッシュの時からでしたっけ?
アメリカは、「力こそ正義」という考え方。

武力に対し武力で反抗する。こんな事になれば、皆さんご存知、戦争の始まりです。

それが例え、民間人を救うためであっても、報復処置だとしても、力と力がぶつかれば戦争になる。

私は今一番、それが恐かったりします。

宗教は元を辿れば、一人の神様なのに、それぞれの思想の違いから今のように沢山の宗教が生まれました。不思議です😅



さて、今日はこの話から少し宗教について話してみようかなと思います。エホバと、日蓮についてです。
信者の方もいるかもしれないのでこの2つにあたる方はそっとはここでブログを閉じて下さい。









まずは、エホバから話していきましょう。

何度も言うように私は心臓病をもって生まれてきました。実は、エホバの信者にはこういった病児を持つご両親が多かったりします。


私も詳しくは分からないので簡単にしかお話できませんが、エホバの教えの中に、「輸血はしない。臓器提供はしても良い」というようなものがあります。


そしてこれは、子供の手術にももちろん影響します。
事前に手術についての説明(最悪の場合の話もしたりします)があるのですが心臓病など場合によっては輸血が必要になる手術があったりします。

そしてエホバは輸血をしてはいけない、もらってはいけない。この考えがこの時働くのです。

「輸血を伴う場合、手術はしません」

この一言で手術を辞める方も大勢いるのが現状です。

宗教絡みになるので医師も強くは言えません。


私が知り合った方の中にもエホバの証人の方はいました。まだ小さなお子さんは、このタイミングが一番良い、という理由で手術を医師から勧められていました。

しかし、輸血を伴う手術のため結局手術はせず、それから一週間後、再び緊急で送り込まれたそのお子さんは、亡くなりました。


緊急性があった場合でも両親などから手術の同意許可が必要になります。
ご両親は、許可をしませんでした。


なぜこうなったのか。

最後まで、「神」を信じ続けたから。

謝る医者に対し、ご両親は一言、

「我々の奉仕が足りなかったからです。先生は悪くありません。」

それだけ聞いてしまい、私は逃げるように自分のベッドに戻りました。



神にもっと尽くしていれば、神は我が子を助けてくれた。

そういう事だったようです。

私は、あえて言うなら「神道」を信じてはいます。心酔はしてませんが。


エホバじゃなかったら、あの子は助かってたのか、と未だに思います。他人の事だけど、今も思う。

光羽ちゃんの、ご冥福をお祈りします。









次に話す日蓮は私の今の高校の友人との事です。
彼女は、要領がいい方ではありません。

テストの点数も、良かったり悪かったり。

しかし問題はそこではなく……


彼女のご両親、特にお母様の発言に私は耳を疑いました。


「あんたがテストが上手くいかないとかって、ちゃんと毎日真摯に祈っていないからよ。ちゃんと努力していれば神様は助けてくれる。上手くいかないのはあんたのせい。」


その話をしながら彼女は大粒の涙を流していました。
私が出来ないのはちゃんとしてないからなのかな、と。

今もよく、彼女の悩みは聞いていますが、その子の家庭も随分束縛があるようです。

大学も、親がここに行けと、そう言うといいます。

「自分の人生なんだから自由にやればいい。親がそこでどうこういう権利ない」

私が言えたのはこれだけだった。
彼女の両親は将来に対して、安定した職に付け、と言ったそうなんですが……。


今のご時世、安定した職業なんてあります?

と、私は思ってしまった😅

安定した仕事も、楽な仕事も、どれ一つとして存在しないと私は思ってます。そもそも楽してたら仕事じゃないですし。

仕事は、労働と時間を提供するそのお返しとして給料…即ちそれ相応の対価が支払われる。

そういうものだと思います。
だからなんと言うか……。難しい問題ですが、宗教も度が過ぎればめんどくさい、の一言ですね…。

さて、今日はこの辺りで。

纏まりがなくなってしまいましたね💦
次こそは頑張ります(๑•̀o•́๑)۶

私が見た、聞いた、感じた事と、その夢と。

昨日から始まった24時間テレビ

今年はどんなドラマをやってくれるのか、ちょっぴり期待した自分がいました。

コロナ前まで、24時間テレビは見ない人間でした。見ない、というか付いていれば見るが、特段気にしない、という感じ。

コロナ前までの24時間テレビを見てても正直良い気持ちはしなかったんです。

お涙頂戴モノが多くて、病気の事とか感動モノに仕上げて。実際そんな生温いものでは無い事を私なりに知っているから、興味が持てませんでした。


でも、今思えばこの機会にこれくらいの事をしないと、関わりを持ったことの無い人は知らないまま終わるのかもしれない、と思うと必要だったのかな、と思ったり。


ちゃんと見始めたのは昨年からです。昨年のドラマは、志村けんさんの追悼の意を込めて…という感じのドラマでしたね。

昨年から少し変化が見えた24時間テレビ。今年も期待してました。


そして、今年のドラマの題材は、「ヤングケアラー」のこと。


きっと、ヤングケアラーという言葉を、昨日のドラマで初めて知った人も多いのではないでしょうか。

どれ程の人が、この国が抱える深刻な問題であると認識してくれたかは分かりません。


しかし、紛うことなき事実なわけです。

昨日のドラマに出てきた子達のそれぞれに抱える事情……

例えば、母親が酒を飲んでばかりだったり。

例えば、シングルで親が帰宅するまで下の子供たちの面倒を上の子が全て見たり。

実際にある事なんです。


他にも、病気を抱える親を支える子ども達、兄妹児のケアを上の子が支える、などもヤングケアラーの中に入ります。


中学時代、凄く足の早い男の子、T君という子がいました。

T君は凄く細い、でも運動が得意な子でした。

ただね、ある時気づいたんです。毎朝、朝食を食べてこないこと。

「朝ごはん食べたー?」

と、私が聞いても「食ってねーよ」と返ってくる。


お昼になれば、そりゃお腹は空きます。

給食の時間。

よく男子がやるおかわりの取り合いを彼はめちゃくちゃ真剣にやってました。
そりゃあもう全部食べ切るぐらいの勢いで。

その時はまだ、彼が抱える裏側の世界をまだ知りませんでした。

ここから先、実は本人から聞いた話ではありません。
多少、違うところもあるかもしれませんがお話します。


T君には下にたくさんの兄妹がいます。

そしてその全員を面倒を見てるのがT君でした。
料理、家事、勉強……。


定期テストが近くなれば勉強もしなければならない。

彼には寝る時間も惜しかったことと思います。夜中まで勉強したりだとかで、兄妹たちの勉強を見たり、朝ごはん作ったり。
T君は朝食を食べなかったのではなく、食べれなかった、だったのです。


その時に私が思ったのは、それを表に見せなかった彼の凄さと同時に、やるせない思いになったこと。


卒業した今、彼がどうしているかは分かりません。



T君以外にも、親の介護や兄妹児の医療ケアをしている友人を沢山見てきました。心臓病児の親御さんやお子さんとの繋がりがあったから、知ることが出来たことだと思っています。



2021/08/22 続く。